十七条の憲法について(全文解説PDF付き)
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聖徳太子の「十七条の憲法」をご存じでしょうか。今から1400年以上前(推古天皇12年・西暦604年)に聖徳太子が作った我が国最古の成文憲法と言われ、その全文が「日本書紀」に掲載されています。有名な「和を以(もっ)て貴しと為(な)し」から始まり、17カ条にわたり、官吏に対する職務のための心得を説くものです。
聖徳太子は天皇を中心とする我が国古来の教えを基本としながらも、海外から伝来した仏教や儒教も取り入れて、当時の最先端の教えの体系を確立しました。なぜ私がこれに着目するかというと、今でも公務や仕事に生かせる内容がたくさん含まれているからです。
たとえば、第1条は「和を以て貴しと為し」から始まります。「和」は「やわらぎ」と読みます。音読みではなく、訓読みで読むのが我が国古来の読み方だったのです。意味も、単に協力するという意味だけでなく、仕事をする上で、「やわらいだ雰囲気を大切にしましょう」という教えを説くものと考えられます。
世の中には様々な考え方の人がいますから、ギスギスした空気で議論すると、角がたってしまいます。しかし、「上司が率先してやわらいだ空気を作り出して話し合えば、部下と考えが通じ合い、心を一つにして物事に取り組むことができますよ」というのが第1条の教えです。
私が仕事をする上でも、やわらいだ雰囲気のもとで交渉や調停を行えば、よくまとまります。裁判官の中にはそうした空気をかもし出すのが得意な方が大勢いらっしゃいます。
また、第9条では「信(まこと)は是(こ)れ義の本なり」と述べられています。正直でうそをつかないことを、当時の日本人も美徳としていたことが分かります。現代の民法にも、信義に反するような行動や契約は許されないという「信義誠実の原則」が定められています。
「十七条の憲法」の精神は今に至るまで、我が国の法文化の根底に息づいています。仕事をする上でも、憲法を考える上でも、先人が作り上げた「十七条の憲法」の精神を取り入れてみてはいかがでしょうか。
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訓読みで読む職場の人間学としての十七条憲法(弁護士安達悠司)
過去の日弁連意見書・声明紹介(全戦犯の赦免勧告等)
日本弁護士連合会は、昭和27年(1952年)6月21日、「平和条約第11条による赦免の勧告に関する意見書」を採択・公表し、政府に対し、全戦犯について赦免の勧告を為すよう求めている。
日弁連のウェブサイト上では見当たらなかったため、ここに引用して掲載する。
日弁連は、連合国によって「戦犯者」とされた日本人の救済のために尽力した歴史があったのである。
なお、これに先立ち、日弁連は、昭和27年2月23日、GHQに対しても、連合国総司令官宛の戦犯者赦免嘆願書を提出している。さらに、同年3月には、政府に対し、全国戦犯者家族及び弁護士会員約3万3000名署名の戦犯者赦免請願書を提出し、速やかに赦免の措置を講ぜられるよう特段の尽力を懇請している。
その後、日弁連は、同年8月9日には、中国関係の戦犯釈放を受け、残る全戦犯の即時釈放を求める声明を出した(後掲)。やや中国の対応に感激し過ぎのきらいはあるが、戦犯とされた者には、冤罪や苛烈の刑であった者が少くないと指摘している点が注目である。
以下引用
■平和条約第11条による赦免の勧告に関する意見書
(旧漢字・旧仮名遣いは現代仮名遣いに改めた)
平和条約第11条には、日本は戦犯裁判を受諾して其の刑を執行し、戦犯の赦免、減刑及び仮出所については、日本の勧告に基いて、BC級については、其の刑を言渡した国々の決定、A級については、東京裁判に代表判事を送った国の過半数の決定によるということになっている。
しかしながら平和条約がその効力を発生した以上、戦争犯罪人は全部これを釈放するのが講和特に和解の講和の原則であらねばならぬ。
国際連合憲章の前文にも「善良なる隣人として互に寛容を実行し云々」とあり、又現に近くその効力を発生せんとする日華条約においてもこの原則を明らかにしている。
然るに何故に平和条約第11条が、戦犯の釈放・減刑等について条約の効力が発生してなお関係国の同意を得ることを要するものとしたかというに、平和条約は調印国の過半数が批准書を寄託すれば、その効力を発生するということになっているが、条約発効後においてもなお批准書を寄託していない国もあり得るし、しかもその未批准国に関係を有する戦犯のある場合には、その国の利害や国民感情を尊重する必要もあるとみたからであろう。
併し、既に批准書を寄託した国々は、日本と個々の講和を締結したと同様の結果になるから、これらの国々は講和の原則に従って戦犯を釈放する用意のあるものと理解することができる。そうして戦犯に関係のある国で既に批准書を寄託した国は、米、英、仏、濠、蘭の5ケ国であるから、これらの国に対しては全戦犯の赦免を勧告し得るものと云わねばならない。
又A級については東京裁判に代表判事を送った11ケ国(現在はソ、中、印を除く8ケ国、但し中、印は単独講和)の過半数である米、英、仏、濠、蘭、加、新の7ケ国が批准書を寄託しているから、A級についても赦免勧告の態勢が整ったと云うことができる。
然らば日本政府が如何なる時機に一般赦免の勧告をなすべきかというに、それは国内の輿論、即ち国民大多数の意思がそれに到達した時期とみるべきである。
そうして、既に批准書を寄託した国々は戦犯釈放に異議がない筈であるが、もしも日本の輿論がこれに傾いていないのに、一方的に釈放することは日本の国民感情を無視する虞れがあるとみたからではなかろうか。従って平和条約第11条は日本に対して思いやりの深い規定であると思われる。
そうして、国会は日本国民の総意を代表する機関であり、しかも衆・参両院が党派を超越して大多数をもって戦犯赦免の決議案を可決した以上、戦犯釈放に関する国民の総意はこれによって決定されたというべきである。従って戦犯赦免の勧告は今や十分にその時期に達しているということができる。
なお、昭和27年法律第103号「平和条約第11条に関する法律」は平和条約第11条運営の為めに作られた法律であるが、その内最も中心を為すものは「赦免」である。
然るに政府は同法の運営において、減刑又は仮出所の方式によって順次これを釈放せんとする方針のようであるが、減刑又は仮出所はアメリカの管理中でもやっていたことで、敢て平和条約を俟つまでもない。
殊に政府が目下着手しつつある仮出所は、巣鴨に居る刑期3分の1以上を経過した、刑期18年以下の約280名を対象としているのであって、別に恩赦というほどのものではない。現在巣鴨にはこの外に、刑期19年以上50年以下の者が約330名、終身刑の者が334名居る。
又比島とマヌス島には有期刑226名、終身刑32名、死刑59名の多きに達している。
これら合計981名の者はいつになったら自由の身になり得るのであろうか。これらの人々にこそ政府は深く思いを致すべきである。平和条約第11条は、これら仮出所のできない人を救わんとするのが主たる目的でなければならない。
されば、平和条約第11条は、「赦免、減刑及び仮出所」と規定して、先づ赦免を第一とし、赦免勧告の困難な国に対しては減刑を勧告し、さらに刑期の3分の1に達した者には仮出所を勧告することを明らかにしたものと云わなければならない。
上述の如く平和条約11条の恩恵は実に赦免を以てその核心を為すものである。然るに政府はその手続を躊躇していることは、温情ある平和条約の趣旨にも反し、延いては日本国憲法第98条第2項の精神にも悖るものと云わねばならぬ。
故に政府は速やかに、先ず全戦犯に対する一般赦免の勧告を為すべきである。
昭和27年6月21日
日本弁護士連合会
(昭和27年7月1日発行「自由と正義」第3巻第7号より)
■戦犯者の全面的特赦免を即時断行せよ
去る8月5日、日華平和条約発効と同時に中国関係戦犯者88名は釈放せられた。満州事変以来人的物的に損害を被ること最も甚大なる中国が、講和の本義に徹して旧怨を一洗し、率先して戦犯者の全面赦免を行ったことは感激の至りである。中日両国はこれを契機として今後永く精日的に結合せられるであろう。
中国の情義によって巣鴨プリズンを嬉々として出て行った釈放者の歓喜に引替え、之を見送った八百余名の残留者並びに外地被拘禁者の心中は如何ばかりであろう。BC級の中には、戦勝国の勝利の亢奮に駆られて冤罪をきせられたり、苛烈の刑に処せられた者が鮮くない。
そもそも「和解と信頼」の講和といわれるサンフランシスコ平和条約第11条の趣旨は、徒らに冷酷なる刑の執行を持続せしめんとするに非ずして、同条に規定する手続の励行により、すみやかに赦免減刑等をなさしめるにある。
よって日本政府は、連合国をして中国の例に準じ即時戦犯者の全面的赦免を断行せしめる為、懸命の努力を致されんことを全国6000人の弁護士の名において爰にこれを要請する。
昭和27年8月9日
日本弁護士連合会
(昭和27年9月1日発行「自由と正義」第3巻第9号より)