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十七条の憲法⑧

◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている⑧?

(やつ)に曰く(いは)、群卿百寮(まちきみたちつかさつかさ)、(はや)く(まゐ)り(おそ)く退(まか)でよ。公事(おおやけ)鹽靡(いとまな)し、終日(ひめもす)にも(つく)し(がた)し。(これ)を(もつ)て(おそ)く(まゐ)れば、(すみやか)なるに(およ)ばず、(はや)く退(まか)れば、(かなら)ず(こと)(つ)きず。

 

第八条は、「勤務時間」がテーマです。

「群卿百寮」は前にもありましたが、「まちきみたちつかさつかさ」つまり、高官から下位の全ての役人に至るまでという意味です。

「朝り」は、「まゐり」と読み、「晏く」は「おそく」、「退でよ」は「まかでよ」、つまり早く参り遅く帰れということを言っています。朝早くから出勤し、遅くに退庁すべしということであり、言わんとするところは明快です。

日本書紀では、舒明天皇8年に、大派王(おほまたのみこ)が豊浦大臣(とよらのおおおみ)に対し、「朝(みかど)参(まゐ)りすること已(すで)に懈(おこ)たれり、群卿(まちきみたち)及び百寮(もものつかさ)、卯の始に参り、巳の後にこれを退れ、因りて鐘を以て節(ととのへ)と為よ」と述べたが、大臣はこれに従わずと書かれています。舒明天皇は聖徳太子が十七条の憲法を制定したときの推古天皇の御代の次の天皇です。十七条の憲法がつくられましたが、その次の天皇の御代には、朝廷に参るのを既に怠っている状況が見られたということです。したがって、卯の始め(午前五時)に参り、巳の後(午前十一時)に退れという具体的な時刻が示され、これを鐘で知らせるように指示されました。しかし、豊浦大臣(蘇我蝦夷)はこれに従わなかったと書かれています。

聖徳太子が十七条憲法を制定したのは推古天皇12年(西暦604年)であり、聖徳太子は推古天皇30年、18年後に亡くなっています。そして、舒明天皇8年(西暦636年)は、実に十七条憲法制定から約32年後です。そのように考えると、全ての役人に実行させるのはいかに困難なことであるかが分かります。

ともかく、当時は、役所で仕事をする時間帯は朝であり、聖徳太子が述べた、早く参り遅く退でよ、という趣旨も、このような早朝の出勤と昼前の退庁を前提としていたと考えられます。

「公事」は、「おおやけ」と読み、「鹽靡し」と書いて「いとまなし」と読みます。おおやけのことは、間隔がないくらいびっちり詰まっているということです。つまり、それだけ仕事の量が多いということです。

第6条の「うたえ」の中でもありましたが、「百姓(おほみたから)の訟(うたえ)は一日(ひとひ)に千事(ちわざ)あり」とされていました。それだけ公務の量も多く、多忙だった姿がうかがえます。

「終日」は「ひめもす」あるいは「ひねもす」と読み、もとは太陽が昇っている間中という意味ですが、転じて一日中という意味です。

したがって、遅く参ると、「急なるに逮ばず」。「逮ばず」は「およばず」と読み、速やかな案件が出てきたときに対応することができないということになります。早く退庁すれば、必ず仕事が終わらないということです。

この条の訳を以下にまとめます。

第八条 すべての役人は朝早く出勤し(朝)遅くに退庁しましょう。公のことは休む間もなく、一日中働いても終えることができません。したがって遅くに出勤すれば、急な事案に対応することができず、早く退庁すれば必ず仕事が終わりません。」

 

以上

 

十七条の憲法⑦

◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている⑦?

(ななつ)に曰(いは)く、人(ひと)各(おのおの)任(よさし)有(あ)り、掌(つかさど)ること宜(よろ)しく濫(みだ)れざるべし。其(そ)賢哲(さかしきひと)官(つかさ)任(よさ)すときは、頌音(ほむるこゑ)則(すなは)起(おこ)り、姧者(かたましきひと)官(つかさ)有(たも)つときは、禍(わざはひ)乱(みだれ)則(すなは)繁(しげ)し。世(よ)生(う)まれながら知(し)ること少(すく)なけれども、剋(よ)念(おも)ひて聖(ひじり)作(な)る。事(こと)大少(おほひなりいささけき)となく、人(ひと)得(え)必(かなら)治(おさ)まる。時(とき)急緩(ときおそき)となく、賢(さかしきひと)遇(あ)ひて自(おのづか)寛(ゆたか)なり。此(これ)因(よ)りて国家(あめのした)永(なが)久(ひさ)しくして、社稷(くに)危(あやう)きこと勿(な)し。故(か)古(いにしへ)聖(ひじりの)王(きみ)官(つかさ)為(た)めに以(もつ)人(ひと)求(もと)む、人(ひと)為(た)めに官(つかさ)求(もと)めたまはず。

 

第七条は、「任官」がテーマです。

第一条から振り返ってみると、第一条は「やはらぎ」、第二条は「仏教」、第三条は「つつしみ」、第四条は「うやまひ」、第五条は「うたえ」、第六条は「善悪」でした。

第一条は、上司がなごやかな空気を作り出すことで心を一つにすることを説き、第二条は心を平穏にするための教えとして仏教を説き、また第三条では天皇陛下のお言葉を受けたときに我が身を振り返ってよく考えることを説いています。そして、第四条では具体的な行動として、相手を上に見る行動をすることで互いに尊重しあう世の中にし、第五条では訴えを公平に審理することで民の拠り所をつくり、第六条では人の良い行動をたたえ、悪い行動を戒めるという行動実線を説きました。

十七条の憲法は、既に述べたように冠位を持つ者への教え、行動哲学として述べられたものであり、非常に実践的な内容です。同時に、国をいかにして治めるか、いかにして民を豊かに安らかにするかという思いが根本にあります。そして、我が国古来の思想や法律、教えをベースにしながら、仏教の考え方や中国の思想・表現を取り入れていることが分かります。

そして、よく読めば、印度と中国の思想を単に取り入れたものではなく、あくまで日本の古来の思想や教えに基づきながら、印度や中国にはない、新たな教えを作り出しているのが本当のところだと感じられます。その例が、第一条の「やわらぎ」や第三条の「つつしみ」であり、また、第四条の「うやまひ」を庶民にまで広げるなど、我が国固有の思想や発想だと分かります。また、第六条や第十六条では、「古の良き典(のり)なり」として我が国の古くからの法律・しきたりを指摘しています。

第七条でも最後に、「古の聖王は」とありますが、これは「いにしえのひじりのきみ」と読み、我が国のおおきみのことを指します。たとえば、日本書紀には、第11代の垂仁天皇の御代、朝鮮半島にあった加羅国の王子が「日本国(やまとのくに)に聖皇(ひじりのきみ)有すと聞りて帰化す」と書かれています。「王」も「皇」も「きみ」と読みます。加羅国の王子が、日本に「ひじりのきみ」がいらっしゃると承って帰化したのです。ほかにも新羅国王の子が「日本国(やまとのくに)に聖皇(ひじりのきみ)有すと聞り」と来日したことが書かれてあります。

したがって、第七条も、日本古来の教えをもとに、任官の考え方を説いているのです。

まず「任」は「よさし」と読みます。任せることを「よさす」と言いました。「よさす」は「寄さす」意味と考えられます。祝詞に詳しい方がいらっしゃれば、神社の大祓詞でも、二神が皇孫に対し、日本を治めることを「ことよさしまつる」(お任せになった)という下りがあります。

人各任有りとは、人はそれぞれ任せられた務めがあるという意味です。

「濫れざるべし」は濫り(みだり)に行ってはならないという意味であり、任務を適切に行わなければならないということです。

第七条の最後に、「官のために人を求め、人のために官を求めず」とありますが、本条の趣旨はまさにこのとおりで、任務を適切に行うことができる人を求めなければならないということです。

「賢哲」は「さかしきひと」つまり優秀な人という意味です。「頌音」は「ほむるこゑ」つまり優秀な人を任官させると褒め称える声が聞こえるということです。

第2文までを訳します。

人にはそれぞれ任された務めがあり、その務めを適切に行わなければなりません。賢い人を任官させると、褒め称える声が起こり、悪い人が官にあり続けると災いや乱れが多くなります。

また、世に生まれながら知る人は少ないけれども、よく考え学んで「ひじり」となる。「聖」は「ひじり」と読みますが、「ひじり」は「日+知り」からきていると思われ、日に日に知ることで、ひじり(聖)となるわけです。「大少」は「おほいなりいささけき」と読みますが、大きいこともわずかなこともという意味です。

「急緩」は「ときおそき」と読みますが、緊急のときでもという意味で、「寛」は「ゆたか」と読み、ゆるやかという意味です。「社稷」は音読みすると「しゃしょく」ですが「くに」(国)のことです。

第6文までを訳します。

世に生まれながら知ることは少ないけれども、日に日によく考え学ぶことで立派な人、ひじりとなります。重大なことでも些細なことでも、よい人がいれば必ずうまくゆきます。急を要することでも、賢い人がいると自然と落ち着いて対処することができます。こうすれば、国は長きにわたって危ういことがありません。

「古の聖王」は、前段でも述べましたが、「いにしへのひじりのきみ」と読み、我が国の昔の優れた大王(おおきみ)・天皇(すめらみこと)のことです。

最後の文を訳します。

よって我が国昔の優れた大王(おおきみ)は、官職のために人を求め、人のために官職を求めませんでした。

まとめると、次のようになります。

第七条 人にはそれぞれ任された務めがあり、その務めを適切に行わなければなりません。賢い人を任官させると、褒め称える声が起こり、悪い人が官にあり続けると災いや乱れが多くなります。世に生まれながら知ることは少ないけれども、日に日によく考え学ぶことで立派な人、ひじりとなります。重大なことでも些細なことでも、よい人がいれば必ずうまくゆきます。急を要することでも、賢い人がいると自然と落ち着いて対処することができます。こうすれば、国は長きにわたって危ういことがありません。よって我が国昔の優れた大王(おおきみ)は、官職のために人を求め、人のために官職を求めませんでした。

結局、第七条では、任官の際には、その務めを行うのにふさわしい優れた人を求めるよう説いています。これは、当たり前と言えば当たり前のことですが、官職にある者の血縁や地縁ということでの任官、つまり縁故採用が多くなった結果、その任に堪えない者がでてくる弊害が起きていたためと考えるのが自然です。

人は第一の宝です。どんな優れた制度やどんな役職をつくっても、それを動かすのは結局人ですから、よい人が就けばうまくゆきますし、その任に堪えない人が就けばうまくゆきません。聖徳太子はまさにこのことを言っています。

以上

十七条の憲法⑥

◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている⑥?

六(むつ)に曰(いは)く、悪(あしき)を懲(こら)し善(よき)を勧(すす)むるは古(いにしへ)の良(よ)き典(のり)なり。是(これ)を以(もつ)て、人(ひと)の善(よき)を匿(かく)すこと無(な)く、悪(あしき)を見(み)ては必(かなら)ず匡(ただ)せ。其(そ)れ諂(へつら)ひ詐(あざむ)く者(もの)は、則(すなは)ち国家(あめのした)を覆(くつがへ)す利器(ときうつわ)たり、人民(おほみたから)を絶(た)つ鋒(とき)剣(つるぎ)たり。亦(また)侫(かたま)しく媚(こ)ぶる者(もの)は、上(かみ)に対(むか)ひては則(すなは)ち好(この)みて下(しも)の過(あやまち)を説(と)き、下(しも)に遭(あ)ひては則(すなは)ち上(かみ)の失(あやまち)を誹(そ)謗(し)る。其(そ)れ如(これ)此(ら)の人(ひと)は、皆(みな)君(きみ)に忠(まめ)無(な)く、民(たみ)に仁(めぐみ)無(な)し。是(こ)れ大乱(おほきなるみだれ)の本(もと)なり。

 

第六条は「善悪」がテーマです。

「勧善懲悪」を前後逆にした「懲悪勧善」という四字熟語が最初に出てきます。

つまり、悪を懲らし善を勧める、悪いことを懲らしめ良いことを称えるという道徳の基本的なことが説かれています。

「懲悪勧善」は、中国の古典の「春秋」という書物にも書かれており、聖徳太子がこの記載をもとに引用した可能性が高いと言われています。

ただ、「古の良き典なり」とも書かれています。つまり、昔の良い「のり」である、ということです。

「典」は「のり」と読み、のりは、神が述べたことから転じて、「ことば」「きまり」「しきたり」「おしえ」などという意味があります。宣、法、則、範、教という字はいずれも「のり」と読みますが、「のり」にはこのように様々な意味があるのです。

ここで、懲悪勧善が昔からの良い「のり」であるとなると、わが国に昔からある法律・しきたり・教えという意味に解釈されるのではないかと思います。

そうすると、悪いことをこらしめ、良いことを称えることは、わが国でも昔から教えられ、きまりやしきたりとなっていた、と解釈するのが自然に思います。

中国の古典に書かれている言い回しは、わが国に古くからある道徳を漢文に翻訳したときに、同じような意味にあるものとして使われたのではないでしょうか。

むしろ、ここで強調されているのは、第2文の「人の善を隠さず、悪を見ては必ずただせ」という、具体的な行動です。人の良い行動を見たら隠さない。つまり、上司に報告しなさいということです。また、人の悪い行動を見たら正す。つまり、その場で注意しなさいということです。これは、言うのは簡単ですが、行うのは難しいこともあります。

そして、へつらい、あざむく者は、国家を覆す「利器」とされます。へつらいあざむくとは、悪いことに従い、嘘をついて人をだますことを言います。「利器」は「ときうつわ」と読み、鋭い道具ということです。また、人民を絶つ鋒剣、つまり「鋒剣」は「ときつるぎ」と読み、鋭い剣のことです。非常に強い言い方がされています。

第3文までを訳します。

 悪いことを懲らしめ、良いことを称えるのは、わが国に昔からある良いしきたりです。したがって、他人の良い行動を見つけたら隠さず報告し、悪い行動を見つけたら必ず正しましょう。悪いことを正さず、見て見ぬふりをしたり、悪いことに従うような、へつらいあざむく人は、(悪事がはびこる原因となるため)国をくつがえすのに便利な道具であり、(国がくつがえると民は路頭に迷いますから)民を切る鋭い剣のようなものです。

また、「侫しく媚ぶる」は「かたましくこぶる」と読み、言葉巧みに相手に追従する人を言います。上司に対しては部下のミスを喜んで話し、部下に会ったら上司のミスを非難するような人が挙げられています。

これは、「へつらいあざむく者」が悪を正さずに悪に従ってしまう人を指しているのに対し、「かたましくこぶる者」は悪事を指摘してばかりで、人の善を称えることをしないことを指すと考えられます。

こうした人は「皆君に忠なく、民に仁なし」とされます。

ここで、「忠」は「まめ」と読み、「仁」は「めぐみ」と読みます。

言葉巧みに相手に追従し、他人の悪いことばかり指摘して、他人の良い行動を称えない人は、模範となるべき行動を見て見ぬふりをするので、良い人を称賛する機会を失わせてしまいます。これでは、「君」すなわち天皇に忠節を尽くしておらず、民を良い方向に教えさとすことが役人の仕事であるのに、それをしていないのですから、民を恵むことができません。これは、国を乱れさせる原因になっていまいます。

後半を訳します。

 また、言葉巧みに追従する人は、上司に対しては好んで部下の誤りを話し、部下に会ったときは上司の誤りを非難します。これらの人は、他人の悪い行動を指摘するばかりで、他人の良い行動を話したり、称えることをせず隠しているので、皆天皇に忠実でなく、また、(民を良い方向に教え諭すという仕事をしていないので)民に恵むことがありません。これは、大いなる乱れの原因になります。

まとめると、次のようになります。

第六条 悪いことを懲らしめ、良いことを称えるのは、わが国に昔からある良いしきたりです。したがって、他人の良い行動を見つけたら隠さず報告し、悪い行動を見つけたら必ず正しましょう。悪いことを正さず、見て見ぬふりをしたり、悪いことに従うようなへつらいあざむく人は、(悪事がはびこる原因となるため)国をくつがえすのに便利な道具であり、(国がくつがえると民は路頭に迷いますから)民を切る鋭い剣のようなものです。また、言葉巧みに追従する人は、上司に対しては好んで部下の誤りを話し、部下に会ったときは上司の誤りを非難します。これらの人は、他人の悪い行動を指摘するばかりで、他人の良い行動を話したり、称えることをせず隠しているので、皆天皇に忠実でなく、また、(民を良い方向に教え諭すという仕事をしていないので)民に恵むことがありません。これは、大いなる乱れの原因になります。

このように、役人が、悪い行動を見て見ぬふりをしたり、悪いことに従うのは非常に危険です。また、良い行動を見て見ぬふりをして称えず、人の悪いことばかりを指摘するのも、結局は嘘をついているのと同じであり、正しい情報が行き渡らず、国を大きく乱れさせる原因となるのです。

当たり前のことが説かれているようですが、いざ実践となると、大変なことです。しかしながら、良いことを良いとして賞賛し、悪いことを悪いこととして正すのは、わが国古来からの当然のしきたりだったわけです。聖徳太子は、こうした、古来からの在り方に立ち返って、初心忘るべからず、もう一度行動してみましょう、と諭しているのです。

以上

 

 

十七条の憲法⑤

◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている⑤?

五(いつ)に曰(いは)く、餮(あぢはひのむさぼり)を絶(た)ち欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、明(あきら)かに訴訟(うたえ)を辨(わきま)へよ。其(そ)れ百姓(おほみたから)の訟(うたえ)は、一日(ひとひ)に千事(ちわざ)あり。一日(ひとひ)すら尚(なほ)爾(しか)るを、況(いは)んや歳(とし)を累(かさ)ねてをや。頃(このごろ)、訟(うたえ)を治(おさ)むる者(もの)、利(くぼさ)を得(え)て常(つね)と(な)し、(まいない)を(み)て(ことはり)を(まを)す。便(すなは)ち(たから)(あ)るものの(うたえ)は、(いし)をもて(みづ)に(な)ぐるが(ごと)く、(とも)しき(ひと)の(うたえ)は、(みづ)をもて(いし)に(な)ぐるに(に)たり。(これ)を(もつ)て(まず)しき(たみ)、(すなは)ち(よる)(ところ)を(し)らず、(やつこ)の(みち)(また)(ここ)に(か)けぬ。

 

第五条のテーマは「うたえ」(訴訟)です。

現代では「訴訟」と書いて「そしょう」と読み、「訴え」と書いて「うったえ」と読みます。訴訟を提起する、訴えを起こすというように、裁判所で裁判を申し立てるときに使う言葉です。「訴えてやる」というフレーズでも使われますね。

ところで、第一条の解説でも書いたように、十七条の憲法は基本的に訓読みをします。「訴訟」は音読みになります。では訓読みするとどうなるでしょうか。「訴」も「訟」も同じ「うったえ」という意味であり、「訴訟」を訓読みすると「うったえ」になります。そして、当時の読みとしては、「うたえ」、「うたへ」または「うつたえ」となります。ここでは「うたえ」と読んで先に進めます。

「うたえ」(訴訟)は、「心に訴える」と今も使うように、自分の困りごとや意見をお上や相手に強くうったえかけることから、「うたえ」と言います。語源を考えてみると、心に強く感じたことをことばにして表現することを「うたふ」(うたう)と言い、心に強く感じたものをことばにしたものを「うた」と言いますね。この「うた」+「え」で、「うたえ」となったのではないかと考えられます。「え」は、「いくえ」(幾重)、「やえ」(八重)と使われるように、繰り返し重ねるものを言います。心に強く感じたものを言葉で表した「うた」を、何度も何度も繰り返し主張することから、「え」が付いて、「うたえ」となったのではないかということです。

相手を訴えるということは、よくよくのことですから、非常に辛い思いをした、非常に苦しい思いをした、非常に大変な目にあったということです。そうした思いや出来事は、心を強く揺さぶり、苦しみや辛さとしてことばに出さずにはいられません。これは悲しみの「うた」、苦しみの「うた」となります。しかも、相手や、周りの人や、裁いてもらう人に対して、自分の思いを聞いてもらわないといけないので、一回だけではなく、何度も何度も同じ話をしなければなりません。ですから「うた」を重ねる(重ねるという意味の「え」)必要があり、「うたえ」というようになったのではないでしょうか。

また、自分の気持ちをうまく伝える必要もあることから、「うたえ」が、うまく「つたえ」るものとして、「うつたえ」とも言うようになったのではないかとも考えられます。

だいぶ語源の話が長くなりましたが、このように、古代にも様々なトラブルがあり、「うたえ」の数も相当多かったと考えられます。

聖徳太子は、餮(あぢはひのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を捨てて、明らかに「うたえ」をわきまえるよう説いています。これは、第二条の仏教に基づき欲を抑えるという教えとつながります。

続けて、「うたえ」は、1日に千事ありと述べています。この「千事」は、非常に多くの数を意味するのか、1日1000件の事件があると文字通り受け取ってよいのかわかりませんが、とにかく聖徳太子の時代にも裁判は多かったようです。

ちなみに、現代(令和元年)、わが国の裁判所に新しく持ち込まれる事件の数は、1日約1万件です。年間では約360万件になります。

聖徳太子の時代では、人口も今ほど多くなかったと考えられますが、1日1000件でも現代の10分の1ですから、意外と1日千件くらいの件数だったのかもしれません。

まず、3つ目の文まで訳します。

むさぼりや欲をなくし、訴えを公平に審理しましょう。庶民の訴えは1日千件もあります。1日すらそうであり、ましてや年を重ねると非常に多い件数になります。

では、聖徳太子の時代の裁判は、どんな方法で行われていたのでしょうか。

これについて、聖徳太子より少し前である、欽明天皇の時代には、「盟神探湯(くかたち)」と言って、煮えたぎった湯の中に争っている者がそれぞれ手を入れて、焼けただれたかどうかで、罪のあるなしを判断するという「神判」がされていたという記述があります。

これは、今の時代からみると、神がかり的、呪術的に見えてしまい、合理的ではないように思いますね。

こうした盟神探湯(くかたち)などの記述をみて、聖徳太子の時代が暗黒裁判だったかのように考える人もいますが、私はそうは思いません。

まず、全ての裁判で盟神探湯が行われ、暗黒裁判だったとしたら、朝廷が扱う裁判の件数が非常に多くなるとは考えられません。また、聖徳太子の十七条の憲法をここまで読んでいただけると分かると思いますが、非常に合理的で深い思想のもとに書かれており、そのような時代にあっても、神がかり的な神判だけで済ませていたとはとても思えません。また、第五条には、賄賂のことが書かれており、神判では賄賂をもらってもどうにもなりませんし、話を詳しく聞く必要もないわけです。

ですから、聖徳太子の時代には、既にそれなりの法が定められ、双方の話を聞き、法にしたがったある程度合理的な裁判がなされていたのではないかと考えられます。

「盟神探湯」(くかたち)が使われたこともあったかもしれませんが、全件ではないでしょうし、本当に審理不能な事件や、耳目を引くような事件に限られたのではないでしょうか。また、聖徳太子の時代くらいになると、あえて神がかり的な「盟神探湯」を試みようとすることで、嘘を言っている人は、手が焼けただれるのを恐れて白状するという効果もあったかもしれません。

ともかく、神判ではなく、合理的裁判を行うようになると、裁判を行う役人の裁量が非常に大きくなってきますから、役人の能力・力量の問題や、公正さの問題が出てきます。そこに、賄賂が横行する危険が出てきます。聖徳太子が賄賂を懸念しているのは、まさにこのような合理的裁判が行われるようになっていたからではないかと思います。

「利」は「くぼさ」と読み、利益のこと、「賄」は「まいない」と読み賄賂のこと、「讞」は難しい字ですが「ことはり」と読み、言い分のことと考えればよいと思います。

次の3文を訳します。

この頃、訴えを判断する者が、利益を得るのを常とし、当事者から受け取る賄賂を見てから話を聞いています。つまり、財産がある者の訴えは、石を水に投げるように通ってしまい、貧しい人の訴えは、水を石に投げるのに似て、通らなくなっています。そうすると貧しい民は、拠り所となる公平さが分からなくなり、臣下の道もまたここで失われてしまいます。

裁判を行うのに、判断する人に、欲があり、利益を得ようと思う心があると、裁判から公平さが失われてしまいますね。そのような欲を絶ち、裁判を公平に行うことで、庶民にも公平さという拠り所を知らしめようとしたものです。

まとめると、次のようになります。

第五条 むさぼりや欲をなくし、訴えを公平に審理しましょう。庶民の訴えは1日千件もあります。1日すらそうであり、ましてや年を重ねると非常に多い件数になります。この頃、訴えを判断する者が、利益を得るのを常とし、当事者から受け取る賄賂を見てから話を聞いています。つまり、財産がある者の訴えは、石を水に投げるように通ってしまい、貧しい人の訴えは、水を石に投げるのに似て、通らなくなっています。そうすると貧しい民は、拠り所となる公平さが分からなくなり、臣下の道もまたここで失われてしまいます。

以上

 

十七条の憲法④

◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている④?

(よつ)に曰(いは)く、群卿(まちきみたち)百寮(つかさつかさ)禮(うやまひ)以(もつ)本(もと)為(せ)よ。其(そ)民(たみ)治(おさ)むる本(もと)は、要(かなら)禮(うやまひ)在(あ)り。上(かみ)禮(うやま)はずんば下(しも)齊(ととの)ほらず、下(しも)禮(うやまひ)無(な)きときは、必(かなら)罪(つみ)有(あ)り。是(これ)以(もつ)群臣(まちきみたち)禮(うやまひ)有(あ)るときは位(くらゐの)次(ついで)乱(みだ)れず、百姓(おほみたから)禮(うやまひ)有(あ)るときは国家(あめのした)自(おのづ)から治(おさ)まる。

 

第四条は「うやまひ」がテーマです。ここでは、「禮」という漢字を「うやまひ」(発生は「うやまい」)と呼んでいます。「禮」は「礼」の旧字体です。礼儀や礼服の「礼」です。今では「れい」と読み、学校でも「起立」「礼」と号令をかけますね。武道も「礼に始まって礼に終わる」という言葉があります。天皇陛下の「即位の礼」というようにも使われます。

聖徳太子の時代には「礼」または「禮」と書いて「うやまひ」と読みました。「うやまひ」とは、相手を上に見る行為のことです。

皆さん、「うやまひ」を行動で示してみてください、と言われたらどんな行動をしますか?突然言われると戸惑ってしまうかもしれませんが、立ったまま頭を下げてお辞儀をしたり、畳に座っているときは、前に手をついて頭を下げたりするのではないでしょうか。問題は、そのとき目はどこを向いていますか?「うやまひ」のときは、目線は相手を意識して、上目遣いになり、上を向いているのではないでしょうか。

「おがんでください」と言われると、両手を合わせて頭を下げ、目線も特に意識しないかもしれません。「うやまってください」と言われると、頭を下げつつも、目線が相手の方を意識する、こんな違いがあるのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、このように、「うやまひ」とは、相手を上に見る行為のことです。語源ははっきりしませんが、「うえ(上)」に「みまふ(見舞ふ)」が「うやまふ」となまったのではないかと私は考えております。

相手を上に見るには、相手の下に自分の目線をおいて、相手を見上げることになります。それは、相手に敬意を払うということであり、へりくだるということです。自分が上に立とうとせずに、相手を立てるということです。これは、気持ちだけでなく、具体的な行動が伴います。おじぎをする、頭を下げる、深々と礼をする、話を丁寧な態度で聞く、感謝の言葉を述べる、などの相手を上に見るための具体的な行動として現れるものが「うやまひ」です。

「うやまひ」に「禮」(礼)という漢字が充てられたのは適切だったと思いますが、「うやまひ」はただ単に礼をすることをいうのではなく、相手を上に見るすべての行動を言います。一度、そのような意識で行動してみると、「うやまひ」が実感できるのではないかと思います。

では、最初の2文を訳します。

あらゆる冠位を持つ者は、「うやまひ」を行動の基本としましょう。「うやまひ」とは、お辞儀をする、頭を下げる、へりくだる、相手の話を丁寧に聞く、感謝の言葉を述べるなど、相手を上に見るすべての行為をいいます。民を治める基本はすべて「うやまひ」にあります。

次の文は、上司と部下について述べています。上司に「うやまひ」がなければ、部下は大切にされているという実感が持てず、上司が部下を掌握することができません。また、部下に「うやまひ」がないと、礼儀や注意を欠くわけですから、必ず何らかの罪を犯してしまいます。

上司が「うやまひ」をしなければ部下をまとめることができず、部下に「うやまひ」がないときは必ず何かの罪を犯してしまいます。

最後の文は、役人全員から庶民に至るまですべての人を対象にしています。群臣は「まちきみたち」つまり役人のことを言います。「位次」は「くらいのついで」と読み、冠位の順序、上下関係という意味でよいと思います。「百姓」は「ひゃくしょう」ではなく、「おほみたから」と読み、役人ではないすべての民のことを指します。民は大切な宝という意味に読むのも面白いポイントです。

中国には「礼記」「孝経」「論語」など「礼」について書かれた古典はたくさんありますが、聖徳太子の十七条の憲法で特徴的なのは、一般の庶民にも「礼」を求めていることです。中国の古典では「礼は庶人に下らず」とあり(礼記・曲礼篇)、礼はあくまで主君や官僚に求めるものであって、庶民に求めるものではありませんでした。聖徳太子は、中国思想の「礼」に限定して考えたのではなく、日本古来の「うやまひ」(礼)という観念としてとらえていたために、一般庶民にも「うやまひ」を求め、互いに相手を尊敬する行動に基づいた国づくりを目指したと考えられます。

また、「国家」は「あめのした」と読みます。「自から治まる」とは、自然と治まってゆくということですが、「自治」と書いて「おのづからおさまる」と読むのは新鮮な響きがあります。「地方自治」や「自治会」という言葉として今も「自治」という言葉が使われていますが、そのばあい、市町村や自分たちの会を「みづからおさめる」という意味で考えてしまうことがほとんどです。しかしながら、「うやまひ」を持っていれば、「自治」は「おのづからおさまる」という発想に変ってゆくことも面白いポイントではないかと思います。

最後の文を訳します。

したがって、役人に「うやまひ」があるときは上下関係が乱れず、庶民に「うやまひ」があるときは、互いに相手を立てて行動しあうようになるので、国中が自然とうまく治まってゆくのです。

いかがでしたでしょうか。第四条になると、冠位を持つ者の行動哲学から出発して、全ての役人(群臣)や一般庶民(百姓)にも「うやまひ」の大切さを説いており、国中が自然とうまく治まりゆくという理想を語っています。ここまでくると、十七条の憲法は冠位を持つ者だけにとどまらない、国中の民に向けた教えであることが分かってくるのではないでしょうか。

まとめると、次のようになります。

第四条 あらゆる冠位を持つ者は、「うやまひ」を行動の基本としましょう。「うやまひ」とは、お辞儀をする、頭を下げる、へりくだる、相手の話を丁寧に聞く、感謝の言葉を述べるなど、相手を上に見るすべての行為をいいます。民を治める基本はすべて「うやまひ」にあります。上司が「うやまひ」をしなければ部下をまとめることができず、部下に「うやまひ」がないときは必ず何かの罪を犯してしまいます。したがって、役人に「うやまひ」があるときは上下関係が乱れず、庶民に「うやまひ」があるときは、互いに相手を立てて行動しあうようになるので、国中が自然とうまく治まってゆくのです。

以上

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