十七条の憲法⑤
◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている⑤?
五(いつ)に曰(いは)く、餮(あぢはひのむさぼり)を絶(た)ち欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、明(あきら)かに訴訟(うたえ)を辨(わきま)へよ。其(そ)れ百姓(おほみたから)の訟(うたえ)は、一日(ひとひ)に千事(ちわざ)あり。一日(ひとひ)すら尚(なほ)爾(しか)るを、況(いは)んや歳(とし)を累(かさ)ねてをや。頃(このごろ)、訟(うたえ)を治(おさ)むる者(もの)、利(くぼさ)を得(え)て常(つね)と為(な)し、賄(まいない)を見(み)て讞(ことはり)を聴(まを)す。便(すなは)ち財(たから)有(あ)るものの訟(うたえ)は、石(いし)をもて水(みづ)に投(な)ぐるが如(ごと)く、乏(とも)しき者(ひと)の訴(うたえ)は、水(みづ)をもて石(いし)に投(な)ぐるに似(に)たり。是(これ)を以(もつ)て貧(まず)しき民(たみ)、則(すなは)ち所(よる)由(ところ)を知(し)らず、臣(やつこ)の道(みち)亦(また)焉(ここ)に闕(か)けぬ。 |
第五条のテーマは「うたえ」(訴訟)です。
現代では「訴訟」と書いて「そしょう」と読み、「訴え」と書いて「うったえ」と読みます。訴訟を提起する、訴えを起こすというように、裁判所で裁判を申し立てるときに使う言葉です。「訴えてやる」というフレーズでも使われますね。
ところで、第一条の解説でも書いたように、十七条の憲法は基本的に訓読みをします。「訴訟」は音読みになります。では訓読みするとどうなるでしょうか。「訴」も「訟」も同じ「うったえ」という意味であり、「訴訟」を訓読みすると「うったえ」になります。そして、当時の読みとしては、「うたえ」、「うたへ」または「うつたえ」となります。ここでは「うたえ」と読んで先に進めます。
「うたえ」(訴訟)は、「心に訴える」と今も使うように、自分の困りごとや意見をお上や相手に強くうったえかけることから、「うたえ」と言います。語源を考えてみると、心に強く感じたことをことばにして表現することを「うたふ」(うたう)と言い、心に強く感じたものをことばにしたものを「うた」と言いますね。この「うた」+「え」で、「うたえ」となったのではないかと考えられます。「え」は、「いくえ」(幾重)、「やえ」(八重)と使われるように、繰り返し重ねるものを言います。心に強く感じたものを言葉で表した「うた」を、何度も何度も繰り返し主張することから、「え」が付いて、「うたえ」となったのではないかということです。
相手を訴えるということは、よくよくのことですから、非常に辛い思いをした、非常に苦しい思いをした、非常に大変な目にあったということです。そうした思いや出来事は、心を強く揺さぶり、苦しみや辛さとしてことばに出さずにはいられません。これは悲しみの「うた」、苦しみの「うた」となります。しかも、相手や、周りの人や、裁いてもらう人に対して、自分の思いを聞いてもらわないといけないので、一回だけではなく、何度も何度も同じ話をしなければなりません。ですから「うた」を重ねる(重ねるという意味の「え」)必要があり、「うたえ」というようになったのではないでしょうか。
また、自分の気持ちをうまく伝える必要もあることから、「うたえ」が、うまく「つたえ」るものとして、「うつたえ」とも言うようになったのではないかとも考えられます。
だいぶ語源の話が長くなりましたが、このように、古代にも様々なトラブルがあり、「うたえ」の数も相当多かったと考えられます。
聖徳太子は、餮(あぢはひのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を捨てて、明らかに「うたえ」をわきまえるよう説いています。これは、第二条の仏教に基づき欲を抑えるという教えとつながります。
続けて、「うたえ」は、1日に千事ありと述べています。この「千事」は、非常に多くの数を意味するのか、1日1000件の事件があると文字通り受け取ってよいのかわかりませんが、とにかく聖徳太子の時代にも裁判は多かったようです。
ちなみに、現代(令和元年)、わが国の裁判所に新しく持ち込まれる事件の数は、1日約1万件です。年間では約360万件になります。
聖徳太子の時代では、人口も今ほど多くなかったと考えられますが、1日1000件でも現代の10分の1ですから、意外と1日千件くらいの件数だったのかもしれません。
まず、3つ目の文まで訳します。
むさぼりや欲をなくし、訴えを公平に審理しましょう。庶民の訴えは1日千件もあります。1日すらそうであり、ましてや年を重ねると非常に多い件数になります。
では、聖徳太子の時代の裁判は、どんな方法で行われていたのでしょうか。
これについて、聖徳太子より少し前である、欽明天皇の時代には、「盟神探湯(くかたち)」と言って、煮えたぎった湯の中に争っている者がそれぞれ手を入れて、焼けただれたかどうかで、罪のあるなしを判断するという「神判」がされていたという記述があります。
これは、今の時代からみると、神がかり的、呪術的に見えてしまい、合理的ではないように思いますね。
こうした盟神探湯(くかたち)などの記述をみて、聖徳太子の時代が暗黒裁判だったかのように考える人もいますが、私はそうは思いません。
まず、全ての裁判で盟神探湯が行われ、暗黒裁判だったとしたら、朝廷が扱う裁判の件数が非常に多くなるとは考えられません。また、聖徳太子の十七条の憲法をここまで読んでいただけると分かると思いますが、非常に合理的で深い思想のもとに書かれており、そのような時代にあっても、神がかり的な神判だけで済ませていたとはとても思えません。また、第五条には、賄賂のことが書かれており、神判では賄賂をもらってもどうにもなりませんし、話を詳しく聞く必要もないわけです。
ですから、聖徳太子の時代には、既にそれなりの法が定められ、双方の話を聞き、法にしたがったある程度合理的な裁判がなされていたのではないかと考えられます。
「盟神探湯」(くかたち)が使われたこともあったかもしれませんが、全件ではないでしょうし、本当に審理不能な事件や、耳目を引くような事件に限られたのではないでしょうか。また、聖徳太子の時代くらいになると、あえて神がかり的な「盟神探湯」を試みようとすることで、嘘を言っている人は、手が焼けただれるのを恐れて白状するという効果もあったかもしれません。
ともかく、神判ではなく、合理的裁判を行うようになると、裁判を行う役人の裁量が非常に大きくなってきますから、役人の能力・力量の問題や、公正さの問題が出てきます。そこに、賄賂が横行する危険が出てきます。聖徳太子が賄賂を懸念しているのは、まさにこのような合理的裁判が行われるようになっていたからではないかと思います。
「利」は「くぼさ」と読み、利益のこと、「賄」は「まいない」と読み賄賂のこと、「讞」は難しい字ですが「ことはり」と読み、言い分のことと考えればよいと思います。
次の3文を訳します。
この頃、訴えを判断する者が、利益を得るのを常とし、当事者から受け取る賄賂を見てから話を聞いています。つまり、財産がある者の訴えは、石を水に投げるように通ってしまい、貧しい人の訴えは、水を石に投げるのに似て、通らなくなっています。そうすると貧しい民は、拠り所となる公平さが分からなくなり、臣下の道もまたここで失われてしまいます。
裁判を行うのに、判断する人に、欲があり、利益を得ようと思う心があると、裁判から公平さが失われてしまいますね。そのような欲を絶ち、裁判を公平に行うことで、庶民にも公平さという拠り所を知らしめようとしたものです。
まとめると、次のようになります。
「第五条 むさぼりや欲をなくし、訴えを公平に審理しましょう。庶民の訴えは1日千件もあります。1日すらそうであり、ましてや年を重ねると非常に多い件数になります。この頃、訴えを判断する者が、利益を得るのを常とし、当事者から受け取る賄賂を見てから話を聞いています。つまり、財産がある者の訴えは、石を水に投げるように通ってしまい、貧しい人の訴えは、水を石に投げるのに似て、通らなくなっています。そうすると貧しい民は、拠り所となる公平さが分からなくなり、臣下の道もまたここで失われてしまいます。」
以上
十七条の憲法④
◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている④?
四(よつ)に曰(いは)く、群卿(まちきみたち)百寮(つかさつかさ)、禮(うやまひ)を以(もつ)て本(もと)と為(せ)よ。其(そ)れ民(たみ)を治(おさ)むる本(もと)は、要(かなら)ず禮(うやまひ)に在(あ)り。上(かみ)禮(うやま)はずんば下(しも)齊(ととの)ほらず、下(しも)禮(うやまひ)無(な)きときは、必(かなら)ず罪(つみ)有(あ)り。是(これ)を以(もつ)て群臣(まちきみたち)禮(うやまひ)有(あ)るときは位(くらゐの)次(ついで)乱(みだ)れず、百姓(おほみたから)禮(うやまひ)有(あ)るときは国家(あめのした)自(おのづ)から治(おさ)まる。 |
第四条は「うやまひ」がテーマです。ここでは、「禮」という漢字を「うやまひ」(発生は「うやまい」)と呼んでいます。「禮」は「礼」の旧字体です。礼儀や礼服の「礼」です。今では「れい」と読み、学校でも「起立」「礼」と号令をかけますね。武道も「礼に始まって礼に終わる」という言葉があります。天皇陛下の「即位の礼」というようにも使われます。
聖徳太子の時代には「礼」または「禮」と書いて「うやまひ」と読みました。「うやまひ」とは、相手を上に見る行為のことです。
皆さん、「うやまひ」を行動で示してみてください、と言われたらどんな行動をしますか?突然言われると戸惑ってしまうかもしれませんが、立ったまま頭を下げてお辞儀をしたり、畳に座っているときは、前に手をついて頭を下げたりするのではないでしょうか。問題は、そのとき目はどこを向いていますか?「うやまひ」のときは、目線は相手を意識して、上目遣いになり、上を向いているのではないでしょうか。
「おがんでください」と言われると、両手を合わせて頭を下げ、目線も特に意識しないかもしれません。「うやまってください」と言われると、頭を下げつつも、目線が相手の方を意識する、こんな違いがあるのではないかと思います。
前置きが長くなりましたが、このように、「うやまひ」とは、相手を上に見る行為のことです。語源ははっきりしませんが、「うえ(上)」に「みまふ(見舞ふ)」が「うやまふ」となまったのではないかと私は考えております。
相手を上に見るには、相手の下に自分の目線をおいて、相手を見上げることになります。それは、相手に敬意を払うということであり、へりくだるということです。自分が上に立とうとせずに、相手を立てるということです。これは、気持ちだけでなく、具体的な行動が伴います。おじぎをする、頭を下げる、深々と礼をする、話を丁寧な態度で聞く、感謝の言葉を述べる、などの相手を上に見るための具体的な行動として現れるものが「うやまひ」です。
「うやまひ」に「禮」(礼)という漢字が充てられたのは適切だったと思いますが、「うやまひ」はただ単に礼をすることをいうのではなく、相手を上に見るすべての行動を言います。一度、そのような意識で行動してみると、「うやまひ」が実感できるのではないかと思います。
では、最初の2文を訳します。
あらゆる冠位を持つ者は、「うやまひ」を行動の基本としましょう。「うやまひ」とは、お辞儀をする、頭を下げる、へりくだる、相手の話を丁寧に聞く、感謝の言葉を述べるなど、相手を上に見るすべての行為をいいます。民を治める基本はすべて「うやまひ」にあります。
次の文は、上司と部下について述べています。上司に「うやまひ」がなければ、部下は大切にされているという実感が持てず、上司が部下を掌握することができません。また、部下に「うやまひ」がないと、礼儀や注意を欠くわけですから、必ず何らかの罪を犯してしまいます。
上司が「うやまひ」をしなければ部下をまとめることができず、部下に「うやまひ」がないときは必ず何かの罪を犯してしまいます。
最後の文は、役人全員から庶民に至るまですべての人を対象にしています。群臣は「まちきみたち」つまり役人のことを言います。「位次」は「くらいのついで」と読み、冠位の順序、上下関係という意味でよいと思います。「百姓」は「ひゃくしょう」ではなく、「おほみたから」と読み、役人ではないすべての民のことを指します。民は大切な宝という意味に読むのも面白いポイントです。
中国には「礼記」「孝経」「論語」など「礼」について書かれた古典はたくさんありますが、聖徳太子の十七条の憲法で特徴的なのは、一般の庶民にも「礼」を求めていることです。中国の古典では「礼は庶人に下らず」とあり(礼記・曲礼篇)、礼はあくまで主君や官僚に求めるものであって、庶民に求めるものではありませんでした。聖徳太子は、中国思想の「礼」に限定して考えたのではなく、日本古来の「うやまひ」(礼)という観念としてとらえていたために、一般庶民にも「うやまひ」を求め、互いに相手を尊敬する行動に基づいた国づくりを目指したと考えられます。
また、「国家」は「あめのした」と読みます。「自から治まる」とは、自然と治まってゆくということですが、「自治」と書いて「おのづからおさまる」と読むのは新鮮な響きがあります。「地方自治」や「自治会」という言葉として今も「自治」という言葉が使われていますが、そのばあい、市町村や自分たちの会を「みづからおさめる」という意味で考えてしまうことがほとんどです。しかしながら、「うやまひ」を持っていれば、「自治」は「おのづからおさまる」という発想に変ってゆくことも面白いポイントではないかと思います。
最後の文を訳します。
したがって、役人に「うやまひ」があるときは上下関係が乱れず、庶民に「うやまひ」があるときは、互いに相手を立てて行動しあうようになるので、国中が自然とうまく治まってゆくのです。
いかがでしたでしょうか。第四条になると、冠位を持つ者の行動哲学から出発して、全ての役人(群臣)や一般庶民(百姓)にも「うやまひ」の大切さを説いており、国中が自然とうまく治まりゆくという理想を語っています。ここまでくると、十七条の憲法は冠位を持つ者だけにとどまらない、国中の民に向けた教えであることが分かってくるのではないでしょうか。
まとめると、次のようになります。
「第四条 あらゆる冠位を持つ者は、「うやまひ」を行動の基本としましょう。「うやまひ」とは、お辞儀をする、頭を下げる、へりくだる、相手の話を丁寧に聞く、感謝の言葉を述べるなど、相手を上に見るすべての行為をいいます。民を治める基本はすべて「うやまひ」にあります。上司が「うやまひ」をしなければ部下をまとめることができず、部下に「うやまひ」がないときは必ず何かの罪を犯してしまいます。したがって、役人に「うやまひ」があるときは上下関係が乱れず、庶民に「うやまひ」があるときは、互いに相手を立てて行動しあうようになるので、国中が自然とうまく治まってゆくのです。」
以上
十七条の憲法③(第三条)
◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている?③
三(みつ)に曰(いは)く、詔(みことのり)を承(うけたまは)りては必(かなら)ず謹(つつし)め。君(きみ)をば即(すなは)ち天(あめ)とす、臣(やつこら)をば即(すなわ)ち地(つち)とす。天(あめ)覆(おほ)ひ地(つち)載(の)せて、四時(よつのとき)順(めぐ)り行(ゆ)き、萬(よろづの)気(しるし)通(かよ)ふことを得(うる)。地(つち)、天(あめ)を覆(おほ)はむと欲(す)るときは、即(すなは)ち壊(やぶ)ることを致(いた)さむのみ。是(これ)を以(もつ)て君(きみ)言(のたま)ふときは臣(やつこら)承(うけたまは)り、上(かみ)行(おこな)ふときは下(しも)靡(なび)く。故(ゆゑ)に詔(みことのり)を承(うけたまは)りては必(かなら)ず慎(つつし)め、謹(つつし)まずんば自(おのず)からに敗(やぶ)れなむ。 |
第三条は「みことのり」と「つつしみ」がテーマです。
「詔」は「みことのり」と読み、天皇陛下のお言葉のことを言います。「のり」は「宣る(のる)」つまり述べることを言います。神社の「祝詞(のりと)」は神に述べる言葉のことを言いますし、「祈り(いのり)」は「意(い)」を「宣る(のる)」、思いを言うことから来ています。名前を言うことを「名乗る(なのる)」とも言いますね。詔は「みこと」+「のり」であり、「みこと」は皇室の尊称と考えると、天皇陛下のお言葉という意味になります。
天皇陛下のお言葉を受けたときは、必ずつつしみなさい、ということが書かれています。では「つつしむ」とはどういうことでしょうか。「つつしむ」は「つつむ」から来ており、たくさんの着物を身にまとうイメージです。女性が妊娠した初期のころ、体を冷やさないように衣服をしっかり身にまとい、食事も行動も控えめにするのを、母のつつしみと言います。「包み隠さず話す」などと言いますが、その逆で、正装して着物でしっかり体を覆い、包み隠すわけです。結婚式や式典などで、たくさんの衣装を身にまとい、厚化粧をし、裃、袴、冠を身に付けると、軽々しく動いたり話したりすることができなくなり、すべての行動が慎重になりますね。そのように、たくさんの着物をきちんと身にまとい、すべての行動について慎重になり、本当に必要な行動は何かよくよく考えてから行動しようという心の状態を「つつしむ」といいます。
だから、天皇のお言葉である「みことのり」を受けたときは、臣(やつこら、または、おみ、とみとも言います。)は、「つつしむ」、つまり、天皇陛下はどのような意味で言葉を発せられたのだろうかと推し量り、これまでの自分の考えや行動は間違っていなかったかどうか、あるいはこれからしようとしていることは間違っていないだろうかと謙虚な気持ちで行動を慎重に考え直しなさいということなのです。以下訳します。
天皇のお言葉を承ったときは、必ずつつしみなさい。どのようなお気持ちでお言葉を発せられたのかをよく考え、自分の考えや行動に間違いがないか、謙虚な気持ちで考え直し、臣下としてのふるまいに十分気を付けるようにしなさい。
この後は、天皇を天(あめ)、臣下を地(つち)に例えています。
天皇を天(あめ)、臣下を地(つち)と例えることができます。天(あめ)が地(つち)を覆い、地(つち)が天(あめ)を載せることで、時が流れ、気が通い、ものごとが生み成されてゆきます。地(つち)が天(あめ)を覆うことを望むようになると、ものごとは壊れてしまうだけです。
そして、君と臣の関係、それから上司と部下の関係へとつなげて説明されます。臣の中にも上司と部下がいます。臣の上司が、天皇のお言葉を承り、つつしんで行うことで、臣の部下も、これになびき従うようになるという話です。部下を従わせるために、上司が天皇のお言葉に対して「つつしむ」ことが重要なポイントになります。
したがって、天皇がお言葉を発せられたときは、臣下はこれを承り、臣下の上司がつつしんで行うときは、部下も従うようになります。ですから天皇のお言葉を承ったときは、必ずつつしみなさい。上司がつつしまなければ、部下も言うことを聞かず、物事がうまくいかなくなるでしょう。
天皇―臣(上位)―臣(下位)という関係のもと、上級の冠位の者を念頭において説かれていると考えられます。現代の職場でも、社長―上司―部下と置き換えることができます。つまり、社長から指示や相談があったときは、「つつしむ」、つまり謙虚な気持ちで我が身を振り返って慎重に考えることが大事なのです。そうした上で、行動すれば、部下も自然となびき従うようになり事業がうまくいくようになりますよ、ということなのです。
これまた現代にも通ずる職場の行動哲学ということができるでしょう。まとめると、次のようになります。
「第三条 天皇のお言葉を承ったときは、必ずつつしみなさい。どのようなお気持ちでお言葉を発せられたのかをよく考え、自分の考えや行動に間違いがないか、謙虚な気持ちで考え直し、臣下としてのふるまいに十分気を付けるようにしなさい。天皇を天(あめ)、臣下を地(つち)に例えると、天(あめ)が地(つち)を覆い、地(つち)が天(あめ)を載せることで、時が流れ、気が通い、ものごとが生み成されてゆきます。地(つち)が天(あめ)を覆うことを望むようになると、ものごとは壊れてしまうだけです。したがって、天皇がお言葉を発せられたときは、臣下はこれを承り、臣下の上司がつつしんで行うときは、部下も従うようになります。ですから天皇のお言葉を承ったときは、必ずつつしみなさい。上司がつつしまなければ、部下も言うことを聞かず、物事がうまくいかなくなるでしょう。」
以上
十七条の憲法②(第2条)
◆弁護士コラム◆ 十七条の憲法には何が書かれている②?
二(ふたつ)に曰(いは)く、篤(あつ)く三寳(みつのたから)を敬(うやま)へ。三寳(みつのたから)は佛法(ほとけのり)僧(ほふし)なり。即(すなは)ち四生(よつのうまれ)の終帰(をはりのよりところ)、萬(よろづの)国(くに)の極宗(きはめのむね)なり。何(いづれ)の世(よ)何(いづれ)の人(ひと)か是(こ)の法(みのり)を貴(たふと)ばざる。人尤(ひとはなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すくな)し、能(よ)く教(おし)ふるときは従(したが)ふ。其(そ)れ三寳(みつのたから)に帰(よ)りまつらずば、何(いづれ)を以(もつ)て枉(まが)れるを直(ただ)さむ。 |
第二条のテーマは「仏教」です。聖徳太子は、大陸から伝わった仏教を受け入れて政治を行いました。
聖徳太子が二十歳となった推古天皇2年(西暦594年)、天皇は「三寳興隆の詔」を発し、各地に仏舎つまり寺が建てられるようになりました。翌年、高麗の僧慧慈は聖徳太子の師となり、百済の僧慧聡も来朝しました。その翌年には法興寺(飛鳥寺)が完成しました。推古天皇11年には蜂岡寺を造営し、斑鳩の法隆寺も後に完成しました。法隆寺は、「法隆学問寺」とも呼ばれており、海外の最先端の学問を受容し研究する拠点であったと言われています。
聖徳太子が仏教を取り入れた理由は、海外最先端の知識・技術を得ることにもあったと思いますが、ここでは臣下への教えとして仏教を説いています。聖徳太子は、この憲法十七条を作成した二年後には、勝鬘経・法華経を講説し、十年後には三経義疏を著すなど仏教そのものにも大変造詣が深かった方です。仏教によって、こころをよりよい方向に整えてゆくという力にも着目していたことは間違いないでしょう。
ですから、聖徳太子が冠位を持つ者に対して仏教を説いたのは、その精神性のためでもありました。
「三寳」は、三つの宝の意味であり、佛・法・僧を言います。「佛」とは、真理に目覚めた人をいい、「法」とは真理を説く教えを、「僧」とは仏教に帰依して修行する人を言います。
「四生」は、胎生、卵生、湿生、化生の四種類の生物のことで、生けとし生けるすべてのものを指します。「終帰」とは、「おわりのよりどころ」と読み、すべての生物にとって避けられない死に直面したときの拠り所ということです。
人は皆、生まれ、年をとり、病にかかり、死に至ります。これはすべての生物にとって避けられない定めであり、いかにしてこれらの苦しみと向き合い、心の平安を保つかはすべての人にとっての問題です。こうした生死の問題と向き合う仏教は、すべての人、すべての国にとって通じる教えなのです。
仏教は、苦しみが生まれる原因は欲にあると説きます。欲からむさぼりや怒りが生まれます。これらは物事への執着となって苦しみが生じます。したがって、こうした自らの苦しみの原因に気づき、さまざまな欲を手放すことが苦しみから解放されると説きます。苦しみから解放されると、心が平穏になります。心が平穏になると、冷静になって物事に対処することができ、智慧が生まれます。こうした智慧を生かすことが政治、すなわち民を治める仕事に必要なわけです。
前半を訳すと次のようになります。
篤く三つの宝を敬いなさい。三つの宝とは、仏教によって、真理に目覚めた人(佛)、真理を説く教え(法)、修行する人々(僧)です。生老病死について教える仏教は、すべての生きものにとって拠り所となり、すべての国に相通じる教えです。いったい、どの世の中にいるどんな人がこの教えを尊ばない人がいるでしょうか。
聖徳太子が仏教を説く目的は、「枉れるを直さん」ということにあります。「枉」は、曲がるという意味で、曲がってしまったものをまっすぐにしようと考えているわけです。もちろん、まっすぐでない人の心を、正しくしようと考えているわkです。
第一条では、「やはらぎ(和)」が最も大切であると説きました。しかし、どうやって「やはらぎ(和)」「かなふ(諧)」といった状態になれるかというと、心が平穏でなければなりません。聖徳太子は、仏教によって、人の心を正そうとしました。
先ほども説明したように、人の心が曲がってしまうのは、次々と出てくる欲を抑えきれず、コンロトールしきれないところにあります。しかし、生きる者は必ず年をとり、病気になり、死にます。人の欲に限りはありませんが、よりよく生きるためには、自分の欲が自分の苦しみを作り出しているということに気づくことが大切です。そうすると、心が平穏になり、智慧が生まれるからです。
そうした欲や心の在り方について、人からきちんと教えられれば、たいていの人は理解することができます。だから、聖徳太子は、分かりやすい言葉で仏教について皆に教えたに違いありません。以下後半を訳します。
物事を全く理解しない人は少ないので、正しく教えることができれば仏教にしたがうようになります。三つの宝に基づいて、自分の欲が苦しみを作り出していることに気づかせ、正しい心のもち方を教えなければ、いったいどのような方法で曲がった心を正しくすることができるでしょうか。
まとめると、次のようになります。
「第二条 篤く三つの宝を敬いなさい。三つの宝とは、仏教によって、真理に目覚めた人(佛)、真理を説く教え(法)、修行する人々(僧)です。生老病死について教える仏教は、死ぬべき定めにあるすべての生きものにとって拠り所となり、すべての国に相通じる教えです。いったい、どの世の中にいるどんな人がこの教えを尊ばない人がいるでしょうか。物事を全く理解しない人は少ないので、正しく教えることができれば仏教にしたがうようになります。三つの宝に基づいて、自分の欲が苦しみを作り出していることに気づかせ、正しい心のもち方を教えなければ、いったいどのような方法で曲がった心を正しくすることができるでしょうか。」
【事務局ブログ】運動の秋、勉強の秋
大好きな金木犀が散ってしまい、あちこちから香っていたあま~い香りがすっかり無くなり、ちょっぴり残念な気持ちの事務局Hです。
皆様、こんにちは!
寒くなってきましたが、体調を崩されていませんか?
私はというと、この寒さに対応できる服がなくて困っています…。
以前のブログで書かせて頂きましたが、私は秋のファッションが一番大好き!
なのですが・・・コロナ太り(と思われる)のせいで、去年までの服が着れず…かと言って新しい服(サイズアップ)を買う気にもなれず…。
久しぶりにお会いした方々からも「丸くなった?」「自粛太り?」と突っ込まれる始末で。
ヤバっ!痩せなきゃ!!!(゚Д゚;)
・・・と思いつつ、今もお菓子をポリポリしながらブログを更新中…ダメだこりゃ( ꒪⌓꒪)。。。
実は最近、腰痛に悩まされておりまして、先日整形外科に行ったのですが
「運動不足ですね!筋トレメニューお渡しします」と…( ˙▿˙ ; )
実はまだその筋トレメニューを1回もしていないのですが、毎日のように息子から「筋トレやった?」「今日はやった?」と聞かれるので、そろそろ重い腰(二重の意味で)をあげようかな、と。
よーし!今年の秋は「運動の秋」にするべく、今日から頑張ります!!
冬服シーズンまでにはなんとか(๑•ㅂ•)و✧!!健康のためにも(๑•ㅂ•)و✧!!
というわけで、前置きが凄く長くなってしまいましたが…。
本日のブログでお伝えしたかったのは、私の体型事情ではなくて・・・(・∀・😉
一つ前のブログで当事務所所長からご案内致しました、「ほんとうの憲法を学ぶ勉強会」について、私からも少しお話しできたらと思います!!
所長は、古事記や日本書紀についてとても詳しく、国の成り立ちや、遥か昔の法など、いろいろなお話をよくしてくださいます。
が、如何せん、私は興味がないので、左から右に流すことしばしば…(・∀・😉
そんな私なのですが、所長が「ほんとうの憲法を学ぶ勉強会」を開催するということで、案内状を発送するお手伝いをしていたのですが、案内状と合わせて同封した「弁護士コラム」をチラッと拝見し、
「先生、すげぇ!!」
と珍しく(?)興奮してしまったのです。
今回同封した弁護士コラムには、「十七条の憲法には何が書かれている?①」というテーマが書かれております。
「十七条の憲法」という言葉自体は知っていても、一つ一つ具体的なことまでは知らないとういう方は多いのではないかと思います。もちろん私もその中の一人です。そんな私向けに(?)とても分かりやすく、十七条の憲法となにか、第1条には何が書かれているのかを解説してくださっています。
「そんな昔の憲法を知って何の役に立つのか…」と正直思っていたのですが、人間関係に悩むことが多い現代において、この考え方が実践されていれば、とても生きやすい世の中なのではないのか、と感じました。
遥か昔の憲法(思想)が現代にも通じるのだな、いや現代こそ通じて欲しいと思いました。そして、そこに目をつけたうちの所長の凄さたるやヽ(*゜∀゜*)ノ
勉強会の第1回目のテーマは「憲法と天皇」ですが、第3回目のテーマでは「十七条憲法」となっておりますので、どうぞそちらもお楽しみに!!
歴史に興味が無い方も、憲法に興味が無い方も、きっと「おぉ!!」となる内容になっていると思いますので、ぜひお気軽にご参加ください٩(ˊᗜˋ*)و
気づけばあと3カ月も経つと、当事務所で働き出して2年目になるのですが、今後は変わり者だけど凄く頭がキレッキレな所長の凄さを、もっともっと皆様に知って頂けるように、私なりに広報活動(?)が出来たらいいなと思っている所存です(๑•ㅂ•)و✧
さてさて。
本日、10/29(木)は十三夜(栗名月)です!!
最近知ったのですが、十五夜は中国から伝わった風習であるのに対し、十三夜は日本で始まった日本固有の行事だそうです。諸説ありますが、平安時代に醍醐天皇が、月見の宴を催し詩歌を楽しんだのが、十三夜の月見の始まりと言われているようです。
十五夜または十三夜のどちらか一方しか見ないことを「片月見」と呼ぶそうですが、片月見は、縁起の悪いこととされているそうなので、十五夜をご覧になった方はぜひ、今日の十三夜もご覧になってみてください♡
お天気は良さそうですよ( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )?
令和2年10月29日 事務局H
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